2017年 04月 23日
こころの病を癒し和らげ治し防ぐために~解説・臨床編
1)〈霊枢・本神篇〉の解説
「天が人に与えたものが徳。地が人に与えたものが気。徳と気が交流するものが生。生を発現させるものが精。二つの精が結合したものが神。神に従って往来するものを魂。精と並んで出入するものを魄。物を取り扱う所以となるものを心。心にあるおもいを意。意を保持するものを志。志にもとづいて保持したり変化させたりするものを思。思にもとづいて遠くを追求するものを慮。慮にもとづいて物を処理するのを智。」
(1)天が人に与えたものが徳。地が人に与えたものが気。
水と火(天一水を生ず、地二火えを生ず)。本性と生命力。天候と大地が耕かされて産生される天地の恵みが人を育む。
(2)徳と気が交流するものが生。
正に生命。
(3)生を発現させるものが精。
父母から受け継ぐ先天の精と飲食物から取り入れる後天の精が生命力・生命現象を発現させる。
(4)二つの精が結合したものが神。
男女両精、父母の精が結合して生まれる新しい命。その過程、命の誕生は正に神秘の極み。地球上のあらゆる生命体の中で人だけが精神活動を行えるので、これを生命の神秘「神」とした。
※ここまでは生命の起源・誕生・成長発育生殖について述べられている。
(5)神に従って往来するものを魂。
心神は太陽、肝魂は影。自意識に対して反応する機能的無意識。
(6)精と並んで出入するものを魄。
五官(視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚)や本能を主る肉体的無意識。
※人だけが有する機能の説明。
(7)物を取り扱う所以となるものを心。
精神活動の中枢は心臓。
(8)心にあるおもいを意。意を保持するものを志。志にもとづいて保持したり変化させたりするものを思。思にもとづいて遠くを追求するものを慮。慮にもとづいて物を処理するのを智。
内外の刺激を感受→思考回路・処理→認識→自我までのメカニズム。
※心神(自我・自意識)に至るまでのこころと頭の動きと変化の解説。
2)精神活動のメカニズム
(1)肺魄
物を取り扱う所以となるものは心であるとして、精神活動は心臓で行われているんだと解説されています。
その前文で、神に従って往来するものを魂。精と並んで出入するものを魄。とありますが、後半部分の精と魄に焦点を当てて下さい。
精とは、原気です。原気とは生命力の源であり、生命現象を発現させる根源的物質です。
先天の原気と後天の原気があります。
父母から受け継ぎ元々具わっている命の源である先天の原気が尽きたときが人の生命現象の終わりを迎えるときです。寿命です。
母親のお腹にいるときは、胎盤を通じて原気は補充されていますが、誕生してからは自分の力で補充しなければなりません。
天空の気と飲食物が合わさった栄養分を後天の原気として取り入れ、先天の原気を継ぎ足していきます。
これが精です。
その精と同じように、特に後天の原気である飲食物や酸素のように、人体に出たり入ったりするものを魄といっています。
これは何でしょう?
飲食物や呼吸以外で人体に出たり入ったりするものとは?
答えは五官です。
五官とは視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚の感覚のことです。
外からの情報は五官から入ってきます。
目から色が、耳から音が、鼻は臭いをかぎ分け、舌は味を噛み分け、皮膚が温度や痛みを感じます。
このように、五官という機能によって外からのあるいは内外からの情報が出たり入ったりします。
このような肉体的無意識の働きを魄とします。
また、魄は五臓の肺に宿る神気ですから、これを合わせて肺魄とします。
(2)精神活動のメカニズム
本神篇ではこれを受けて続きます。
「物を取り扱う所以となるものを心」とあるように、肺魄で取り入れられた外界からの情報は即座に心臓に送られます。
次の図を見て下さい。
肺魄からの情報が直ちに心臓にいくという機能を図で現しているようにも思えます。
心臓に入ってから、思惟活動しなわち思考回路が展開されていきます。
「心にあるおもいを意。意を保持するものを志。志にもとづいて保持したり変化させたりするものを思。思にもとづいて遠くを追求するものを慮。慮にもとづいて物を処理するのを智。」
この意~智までの霊妙な変化・処理によって、最終的にその情報を認識します。
「それは青色だ」「それは甘くて美味しい」「熱っ!」
ですから、心臓は精神活動の中枢といえます。まさに心は君主の官、神明出ずです。
この働きを神様の神と書いて神とします。
神は心臓に宿る神気ですから、合わせて心神とします。
肺魄の働きを肉体的無意識とするなら、心神は自意識とします。自我の芽生えです。
3)こころの病に至るプロセスとメカニズム
1)肝魂
次に、精神活動が乱れて心の病を発病するまでを解き明かしていきましょう。
外界の情報・刺激を肺魄が感受→心臓に輸送→意~智で処理される→そして認識する→自我が芽生える。
心神で認識した対象に対して感情を抱きます。
好きか嫌いか。
好きであれば、良好な感情ですからストレスはかかりません。
嫌いであれば、負の感情ですからストレスがかかります。
このストレスが積み重なると精神活動に支障をきたし、いよいよ発病するのですが、そうならないようにストレスを食べてくれる機能が私たちには具わっています。
このハタラキを肝臓とします。
肝臓は五行では木に属します。木のような働きがあるということです。木々は地中に根を広げ、地上に枝を伸ばし、葉を生い茂らせます。このような働きが肝臓にもあります。
上に横に下にあちこちにのびのびと気を巡らせています。
この働きによってストレスが降りかかっても気が滞ることなく、発散できるようになっています。
嫌なことがあっても知らず知らずのうちに忘れることができるのはこの肝臓というハタラキのお陰なのです。
ここで再度本神篇の登場です。
「神に従って往来するものを魂。」とあったのを思い出して下さい。
神、つまり自意識に従って活動するのが魂ということになります。
魂とは肝臓に宿る神気です。
合わせて肝魂とします。
心神に従って、肝魂が発動します。
心神で芽生えた自我、好きか嫌いか。
どちらの感情であっても肝魂は発動します。
好きであれば、体に良好な影響を与えてくれます。
嫌いであれば、心を曇らせ、長引くと疲弊します。
このときに肝魂が発動して、木という性質を使って、気の停滞をのびのびとさせ、鬱憤を発散させます。
結果、ストレスは受けたものの溜まることはありません。
この肝魂というハタラキは無意識に行われています。
無意識にストレスという外敵と戦ってくれているわけです。
機能的無意識。
これは今の医学に当てはめて言うならば、正に免疫です。
正しくは免疫を包括したもっと幅広いスゲーやつということになります。
だから、笑うと免疫があがるというのは、その通りなのです。
笑うとか、楽しいとかは、好きでないと芽生えない感情です。
心神が良好な感情を抱くことで、肝魂がガン細胞を包囲できるくらい免疫がUPするのです。
古代の中国人は、そんなことまで分かっていたのです。
東洋医学ヤバイです。
良質な感情は免疫を高め、負の感情は免疫を下げます。
これだけでも覚えて帰って下さい。
(2)発病のプロセスとメカニズム
まとめます。
精神活動を経て自我が芽生えます。好きか嫌いか。
嫌いという自我が芽生えると→ストレスが発生します→無意識に肝魂が発動してストレスを食べてくれます→これを何度も何度も繰り返すうちに、あるいはとっても大きな一撃を食らうと→肝魂という防衛システムが機能不全に陥ります→発散できいないストレスがどんどん溜まっていきます→精神活動が乱れます→疲弊した結果発病します↓
①心気が消耗すると→うつ病・双極性障害やその他様々なこころの病。
➁心血が消耗すると→パニック障害・心臓神経症やその他様々なこころの病。
(3)病因
〔1〕外因・・・私たちは社会生活を営んでいます。家庭・ご近所・地域・会社・仕事場・学校・サークル・クラブ活動・習い事等々に所属している方が大半です。
常に対人関係が発生します。
つまりストレスにさらされています。
外から受けると考えれば、ストレスは外因、外邪といえます。現代人が最も感受する外邪です。
〔2〕内因・・・嫌いといっても実際には様々な感情に分かれます。これを七情とします。
怒・喜・思・憂・悲・恐・驚の感情を内因とします。
この感情にさらされ、七情が乱れたときにストレスを抱えることになります。
ストレスを受けて心神に芽生えた感情が
a.過度な怒りであれば肝に影響し気が上がります(トサカに上る)。
b.過度な喜びであれば心に影響し気が緩みます(だから事故をする)。
c.過度な思いであれば脾に影響し気が結ぼれます。
d.過度な憂い悲しみであれば肺に影響し気が消えます。
e.過度な恐れ驚きであれば腎に影響し気が下がります(腰が抜ける・失禁)。
これが、こころの病を発病するプロセスです。
4)こころの病を癒し和らげ治し防ぐために
(1)診察診断
心神に芽生えた過度な感情はいなかる七情の乱れであるか、どの臓腑に影響しているかを四診を合参して診察診断し、虚実を弁えてはりきゅうで補瀉調整するのが治療の眼目です。
東洋はり医学会創立50周年記念講演で、元会長柳下登志夫先生が、七情が五臓に影響した場合の状態を臨床例を挙げておっしゃっておられましたので紹介します。
〔1〕肝・・・実の時は怒り、虚の時は取り越し苦労となる。
〔2〕心・・・実は喜びを、よくもないこともい非常に喜んだり笑う、しかし虚したばあいには無感動、何にも感動しない状態になる。
〔3〕脾・・・実は思いを過ごす、虚は思いが起こらない。
〔4〕肺・・・実の時は悲しみ、憂い、わけもなく泣けて涙が止まらない。虚になるとじっと動かず悲嘆に暮れる。
〔5〕腎・・・実の時は何者とも知れない者に捕らえられそうになって、じっとしていられないで逃げる、恐れる、恐れが止まらない。虚は足腰が立たない、動けない、わずかの光、小さな音に恐れおののく。
このようにこころの動きが体の状態となってなって現れますので、是非参考にして下さい。
(2)治療
さあラストスパートです。
古代の中国人は治療法まで編み出しています。
〔1〕喜びは憂いに勝つ。
〔2〕悲しみは怒りに勝つ。
〔3〕怒りは思いに勝つ。
〔4〕思いは恐れに勝つ。
〔5〕恐れは喜びに勝つ。
という五行理論を応用しての治療法を授けてくれています。
例えば、憂い大過で気が消えている患者さんに対しては、肺金の実と捉えて、喜びを与えよに則って、心火を補って肺金の実を剋すように治療します。
その他もこれと同様に考えて実践して下さい。
ですから、俗に言う「心に虚なし腎に実なし」ではないということが言えます。
実際にうつ病の患者さんに対して、心虚で左の大陵を補うと良くなる方がたくさんいらっしゃいます。
正しくは「五臓全てに虚実あり」です。
ただし、これだけでは治療は完全とは言えません。
一定期間治療しても良くなってもまた悪くなる患者さんがいます。
治療して体がよくなっても、環境が変わらなければストレスにさらされ、発病のプロセスを繰り返すからです。
では、どうすればよいか?
ここでもう一度思い出して下さい。
嫌い→七情の乱れ→を受けストレスと感じるのは心神の自意識です、己の自我です。
こことどう向き合うかなんです。
夢分流という江戸時代の鍼灸の流派では、これを明確に述べています。過剰な欲であったり、怒り、ねたみ、ひがみ、うらみ、つらみは己のこころを汚します。
心神を曇らせるのです。
と、夢分翁は三つの清ましにおいてこれを戒めています。
かの名医、岡本一抱も五臓だけ治療してもダメだと、心神に本をおきなさいと説いています。
鍼灸で体の不調を整えると同時に、心神にアプロ―チしなければなりません。
残念ながら自意識や自我には鍼やお灸は届きません。こころの毒を洗い流すことができるのは自分自身です。
自分を救えるのは自分だけなんです。
私たち鍼灸師はそのお手伝いをすることができる尊い職業なのです。
簡単にはいかないですが、手軽に始められることがあります。
それは何よりも先ずは、治療家自身が自分の心神を輝かせることです。
患者さんの立場に立って見ると、病気の状態というのは暗いトンネルの中にいるようなものです。
暗いトンネルの中で何を頼りに出口を探しますか?
それは光です。
患者さんにとってみれば、治療家こそが希望の光です。
患者さんにとっての希望の光と成れるように、心神を磨いて下さい。
それには、笑顔と感謝です。
自然と楽しさがにじみ出てくるくらい楽しんでください。
後悔や自信のなさは心神を曇らせます。
誰かを恨むような人生を送っては絶対にダメです。
固執・執着もいりません。
こころから楽しんで感謝して、臨床にあたってください。
東洋医学は、心と体と魂と霊の医学です。
どうか深く心を尽くして学び実践して下さい。
みなさんの心神が光り輝けることを願っています。
by dentouijutu
| 2017-04-23 16:24
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